最近政局が混迷しているボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
暇があればそのことについてまとめてみたいが、今日は違う話を一つ。
今日26日付けのOSLOBODJENJE(オスロボジェーニェ)紙で見つけた記事から。
(
http://www.oslobodjenje.com.ba/index.php?option=com_content&task=view&id=51918&Itemid=48)
ファティマおばあちゃんは毎日、サラエボでいちばん賑わうフェルハディヤ通りで毛糸の靴下(この地方でよく女性が編む、独特の模様を持った部屋履き)を売っている。
身寄りがないファティマおばあちゃん。息子は亡くなっていて家族もいない。おばあちゃんは病気がち。
色んな施設に出向いてはみたけれど誰も助けてくれない。
唯一の収入は毛糸の靴下を売ってわずかながら得るお金。
パンや薬を買ってなんとか1日生き延びるためのお金。
昼間は通りで靴下を売り、夜は靴下を編む。
外国人がよく彼女の靴下を買う一方で、地元の人はほとんど通り過ぎていくか靴下を買うかわりに1KM,2KM(80-160円)置いていくとか。
余談;
サラエボの旧市街やフェルハディヤ通りを訪れたことがある人は必ず経験があると思うが、物乞いが多く見受けられる。
これはサラエボに限ったことではなく、ボスニアのどの街にも物乞いはいると思う。
物乞いのほとんどはロマ(あるいはジプシー)と呼ばれる人たちだが、ロマの人たち全てが物乞いをしているわけではない。
物を売ろうとする人もいるが、たいていはただ寄ってきてお金を要求する。
物乞いは小さな子どもから赤ちゃんを抱いた女性、年寄りまで色々いる。
こうした物乞いの中には、毎日色んな人から小銭をもらうことで生活が成り立ってしまうようなケースもあるようだ。
話を元に戻すと、このファティマおばあちゃんが言うには、
「物乞いをするよりも靴下を売る方がいい。物乞いは絶対にしない。自分ができるあいだは靴下を売る。後はなるようになる。」
私がサラエボで見ている限りでは、物乞いをする人たちの中には、そうしなくては本当に生きていけない人もいるだろうが、人にお金をもらうことで生活できてしまう、そういう状態に慣れてしまっている人もいると思う。
これを見分けるのは難しい。
でもファティマおばあちゃんは、物乞いで人からお金をもらって生きるいう道は選ばなかった。
見上げた精神だと思う。
この国の中心的な役割を担っている政治家たちは、この国のあり方について合意できず、不毛な話し合いに時間と金を費やしている。
その一方で社会の隙間にこぼれ落ちたファティマおばあちゃんのような人たちを手助けする話は一向に聞こえてこない。
人間として最低限のプライドと向上心は持ちたいよね。
どんな生活にあっても・・・
そこまで貧しい生活をしたことがないからわからないけど、
どんな状況でも自分を失ってしまってはおしまいだと思った。